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難有って有り難い

3月になりました。
平成21年、22年の3月にもこのコラムに掲載した、抜粋のつづりが、今年も【株式会社熊平製作所】さんから送られて来ました。毎年素敵な内容のコラムが載っていて楽しみに読んでいます。今年もこの中から感銘を受けたコラムを紹介します。法華宗(本門流)129代管長、大本山鷲山寺貫首の大塚日正(おおつかにっしょう)さんが書かれた文書です。タイトルは「キャリアアップと自分探し」ですが、私なりにタイトルを変え一部を抜粋して紹介します。
《 今の若者達は、兎角自由でありたいと願うようですが、自由とは、気ままに、やりたい放題のことをするというのではないのです。本当の自由とは、相手の自由も尊重し、かつ、常に自己の責任と義務が生じるという自覚を持った上で得られるものではないでしょうか。平成15年5月15日の産経新聞の「朝の詩」に、千葉県の宮川優さんという方の、「凧が空高く飛べるのは 誰かが糸を引っ張っているから でも凧はその糸さえなければ もっと自由に空を飛べると思っている その糸がなければ地上に落ちてしまうのも知らずに」という詩が掲載されていました。先ほども述べたように、ともすると私達は何の束縛も遠慮もなく、心の赴くままに、したいことが出来るのが自由だと錯覚しがちです。しかし私達は、自由きままに一人では生きていけません。何故なら社会の一員として、大勢の人達と繋がり合って生きているからです。大勢の人達の中で生きていくためには、色々な制約があるのは当たり前です。法律に始まり、道徳、マナー、社会の一員としてなすべき種々の義務、ルールなど、どれ一つ欠けても、円満な社会は構成出来ません。こうしたものが私達にとっての凧の糸といえます。この糸は、確かに自由を縛るように見えますが、重く、きつい糸に縛られているからこそ、凧は空に舞うことが出来るのです。私達もこうした糸に縛られているからこそ、より良い人生を歩むことが出来るのではないでしょうか。人生を送る中には、多くの不条理なことや、辛く、悲しく、苦しいことに出会います。挫折、絶望、愛する人との別れ等、辛い出来事に遭遇することはいくらでもあるものです。しかし、こうした経験があってこそ、糸で繋がれた世間の中で、他人の苦しみ、悲しみを理解することも出来るのではないでしょうか。命の尊さ、健康の有り難さ、平々凡々の毎日に幸せを感じたり・・・。何よりも私達にとり、辛く、悲しく、苦しいことなどは、全て自分にとって大切なことであったのだ、と気づき、心から感謝する日が必ず来ると思います。こうした糸に縛られていればこそ、私達人間という凧が、天高く舞い上がり、真の喜びと幸せを味わうことができるのです。私は日頃から信徒に「難有って有り難い」という心構えを持つことが大切である、と説いています。人生には色々な苦難がありますが、如何なる苦難も決して逃げることなく、それらはかえって自分を強く逞しく成長させてくれる糧と受け止めましょう。「難有って有り難い」という強靭かつ柔軟な心を持つよう心懸けたいものです。 》
 私達は一人では生きていけません。分かりきったことですが、本当に理解されているでしょうか。最近の世相を見るにつけ、もっともっとお互い分かり合い、主義主張を押し通すのも限度があることを認識したいものです。凧の糸があるからこそ私達は生きていけるのです。マナーやルールを守って明るい楽しい未来を創って行きたいものです。

素晴らしい未だ見ぬKONOIKEに会う為に今頑張ります