人間万事、塞翁が馬
表題は学生時代に漢文の教科書にも載っていて皆さん良くご存じの言葉です。中国史の故事成語として有名ですが、「人生は吉凶、禍福が予測できない」たとえです。今年は千年に一度と言われた東日本大震災だけでなく、先日の稀にみる台風被害、本当に自然災害が多い年となりそうです。こんな自然災害を乗り越え、我々、残された人間がこれからの世の中を元気よく生きるためにも、(実際に被害に遭われ、困難な生活を余儀なくされている方からは不謹慎である、とお叱りを受けるかもしれませんが)、敢えて今月は今一度この『人間万事、塞翁が馬』を勉強したいと思います。また今月はKONOIKE第9期の始めです。人事異動がありそれぞれの思いがある時期ですが、どんな境遇にあっても「人間万事、塞翁が馬だ。腐らずにやって行こう」と思って頂きたく、ここに現代語訳を書かせて頂きます。
《 昔、紛争の絶えない漢の時代に、国境近くのある村に老人が住んでいました。占いの術に長けていたその老人は人々から「塞(とりで)の近くに住んでいる翁(おきな)」すなわち「塞翁」と呼ばれていました。ある時、その老人が飼っていた馬が国境を超え異民族の地へ逃げて行ってしまいました。馬は貴重な労働力であり、財産です。皆が「お気の毒に」と言うと老人は「いやこのことが福をもたらさないとも限らない」と言いました。数か月たったある日、逃げた馬が異民族の地から駿馬を引き連れて帰ってきました。村の皆が「これはこれは良かったですね。」と言うと老人は「いやいやこれが禍を引き起こさないとも限らない」と言いました。やがて家には良い馬が増え、老人の息子は乗馬を好むようになりました。しかしある時、息子は落馬し股の骨を折ってしまいました。皆が「お気の毒に」と言うと老人は「いやいやこれが福をもたらさないとも限らない」と言いました。一年が過ぎる頃、異民族が攻めてきました。成人している男子は弓を引いて戦い、砦のそばに住んでいた者は、十人中九人が戦死してしまいました。老人の息子は足が不自由だったために戦争に駆り出されずにすみ、父と共に生きながらえることが出来ました。このように、福は禍となり、禍は福となるという変化は深淵で見極めることができないのです。 》
人生、何が有るか分かりません。しかし「禍福はあざなえる縄のごとし」とも言いますが、幸福と不幸は縄のように絡み合って複雑であり、どんな結果になるかは分からないものでもあります。どんな境遇にあっても努力の結果は出て来るもの、として頑張って行きたいものです。また「無駄の効用」という言葉もあります。一見無駄のように見えても実際はその無駄があるからこそ、その他が有効になっていくということです。
車のハンドルの遊び、あるいはバッファがあるからこそ有効なものがより有効に機能する、ということも認識し邁進して行きましょう。