月曜日の朝
今年も例年通り4月になりました。暦は、毎日時を刻んで、月日が経っていきます。本当に過ぎてみれば早いもので、過去はアット言う間に過ぎてしまった感じがします。
未来はまだまだ遠い将来に感じますが、これも過ぎてみれば、きっとアット言う間に来てしまうものなのでしょう。毎年この時期になるとそれぞれの人生の転機になって、後で考えると、あの時のあの事が今の自分の転機であったと思うことでしょう。表題は情報誌『商工経済情報』の3月20日号に載っていた「前照燈」のタイトルです。この時期にぴったりの内容でしたので、皆さんにも読んで頂きたくここに紹介します。
《今年も卒業の季節となり、就職先が決まってホッとしている学生諸君も多いと思われる。最近の若い人達の中には、就職をして職場にも適応したころに仕事が嫌になり転職する人が多いと聞く。
皆さんも、月曜日の朝が他の日と何ら変わらないのに、休日がすんでまた一週間が始まるのかと憂鬱になったことが有るのではないだろうか。しかし、これは嫌だと思うから嫌になるだけのことであって、早くこれを乗り越えてしまうことが仕事を楽しくするためには必要なことである。
たとえば、今日が月曜日であることを忘れるように何か夢中になれる仕事をさがし、その日その日に全力投球する「一日一生」の気持ちで取り組んでみてはどうだろうか。
高校野球を見ていると、勝っても負けても精一杯戦った姿に感動させられる。おそらく見ている観衆にしても、選手達が全力でぶつかり合っているので、まるで自分が戦っているように感じてしまうのだろう。そこに感動がある。感動とは読んだ字のごとく感じて動かされるものであるからだ。
我々の仕事についても同じことである。一生懸命、字のごとく一生、命を懸けてやっている仕事は周囲の人の心を動かす。本人はもちろん「今日も精一杯仕事をしたぞ」という充実感で職場を出ると、家に帰ってからの晩酌も美味しさが増すことだろう。充実した一週間は、清々しい気持ちで週末を迎えることができる。
そのような気持ちで過ごした月末で「よし、来月も頑張るぞ」と「来月は頑張らなければ」と感じる差では大きな開きが生じる。
もし、嫌な仕事に取り組んでいても今日だけならと思うと、どんな嫌な仕事でも耐えられる。そのようなときは、昨日にも明日にもシャッターを降ろして考えなければよい。ひたすら「今日一日だけはがんばるぞ」と思って毎日を過ごしているうちに壁は開かれると思う。
世の中には嫌な仕事など存在しない。自分が嫌だと思っているだけのことである。世の中が求めているものが仕事である。必要性の無いものは消え去っていく。それに、自分の意思で選んだ仕事なのに、どうして嫌になったのか反省してみることだ。ちょっとしたキッカケで袋小路に迷い込んだだけである。少し戻って元の道を歩きだせばよい。》
私も、今まで何度も迷ったり、躓いたりして来ましたが、過ぎて見ればアット言う間で今日まで来ました。
皆さん今日一日は精一杯頑張りましょう。
『 素晴らしい未だ見ぬKONOIKEに会う為に今頑張ります。 』 以上