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精進

 昨年12月中旬頃まで、京セラ創業者の稲盛和男さんの『西郷南洲遺訓と我が経営』という題名の講和集が日経ビジネスに連載されていました。稲盛和男さんも九州、鹿児島出身ということで、【西郷隆盛】については一方ならぬ思い入れがありますが、それ以上に【西郷隆盛】の人間としての素晴らしさが、稲盛和男さんの類まれな文章力、探求局、研究力によって導き出されており、私は連載を読む度に感動していました。その中で第12講和の初めの文章を是非皆さんに読んで頂きたくここに紹介します。
『人生の目的とは何でしょうか。とても難解で哲学的な命題ですが、私はこんなふうに考えるのです。私達人間は、自分の意志でこの世に生まれてくることを決めたわけではありません。物心がついた時、気がついた時には、もうこの宇宙に存在していました。明確な目的を持って、この人生をどう生きていくのかということを決め、「行くぞ」という覚悟とともに生まれ落ちたわけではないのです。成長して学校で学び、社会に出ようという時になって、ようやく人は人生の目的について考えます。目的というよりも
職業の”目標”と言った方がいいかもしれません。例えば、医者になりたい、社長になりたい、エンジニアになりたい、先生になりたい、公務員になりたい、政治家になりたいというように。しかしそれは人生における真の目的ではありません。古今東西、多くの人が立身出世を人生の目的だと考えてきました。競争に勝ち抜いて、時には人を押しのけ、蹴落としてでも、カネ、名誉、権力をつかむ。”成功者”になることが良い人生なのだと考える人がいます。果たして、そうなのでしょうか。どんなに財産を貯め込んでも、名声を獲得しても、多くの人を従える権勢を誇っても、人生の終わり、死を迎える時には何一つとして持っていくことはできません。肉体さえも失ってしまう。ですがすべてが無に帰してしまうのではない。私は、「心」「魂」というものだけが人生の結果として残ると信じています。つまり、死ぬ時にどういう魂になっているのかということが、人の一生の価値を決める。人生の目的とは、立身出世することではなく、美しい魂を作ることにある。人生とは魂を磨くために与えられた時間と場所なのだと思うのです。私は1997年に、臨済宗妙心寺派円福寺にて得度をさせていただき、仏門に身を置く物であります。仏の教えでは、魂を磨き人間性を高めた末に人が到達する究極の境地を「悟り」と言い、悟りに至るための修行の一つが「精進」です。精進とは真面目に一生懸命に励み勤めることです。つまり、「働く」ということであります。働くことは、単に報酬を得るためだけの手段ではない。仕事に打ち込む、一心不乱に働くということを通して、心、魂、人格が作られていくのです。』 皆さんこの文章をよく噛み締めてこれからの人生を素晴らしいものとして行きましょう。

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