諫言は転ばぬ先の杖
歴史作家の【童門冬二】さんの「歴史に学ぶ知恵」というコラムが中日新聞に連載されています。その中に表題のコラムがありました。知っておきたい内容ですので皆さんに読んで頂きたく紹介します。『諫言(カンゲン)とは忠告で、目上の人の過ちを、さとし、諌(イサ)めること』です。『諫言は転ばぬ先の杖』と言ったのは【松平定信】です。
以下にその文章を紹介します。
《 今回は【松平定信】の言葉をご紹介する。白河藩主現任のままで老中筆頭になった【松平定信】は役宅,江戸藩邸,各地の天領(幕府直轄領),役所などの門前に(目安箱)を設置した。これは民の声を直接聞いて、よいものを政治に生かそうという意図からだ。彼が尊敬していた祖父の八代将軍【徳川吉宗】の「享保の改革」にならったものだ。民の声だけでなく部下にも「常に諫言せよ。良い意見には従う。おまえたちの諫言によって政治を行なう者の良い手本になりたい。もし、自分がその諫言に従わないような場合には、自分を見捨てよ」とまで言いきった。これは彼自身が「およそ人の上に立つ者は、たとえ知識があったとしても、それを誇って他人の欠点ばかり非難するのは極めて危険である。上に立つ者がこういう態度をとれば、言路はふさがって意見を言う者など一人もいなくなる。温顔をもって他人の言語をなめらかにし、衆言衆知を求めるべきである。」と自覚していたからだ。しかし【松平定信】は子供のときからその賢明さを謳われていたから、部下のほうも容易に意見を口にしない。こんなことを言えば、かえって殿に笑われるという警戒心もあった。これを知った定信は子供のときから勉強した書物の中から、古今の忠臣が主人に告げた諫言を全部拾い出した。このメモ集を(求言録)と名づけ印刷させ、ばら蒔いた。「諫言の例は(求言録)に書いてある。読んでヒントを得、私への諫言の参考にせよ」と言った。この諫言について彼は側近にこんなことを言っている。「諫言というのは、道を歩く人にとっての杖とおなじだ。杖は転ばぬように予防策の役をつとめてくれる。だから、転ばぬ前の杖だからこそ意味があるので、転んだ後に杖をついても間に合わない。政治家が転ぶということは過ちを犯すことだ。それは道の状況をよくわきまえていないためだ。客観的に道の状況をみきわめ、歩く人間が転びそうになったときに諫言をしてくれるということは、政治を行なう者にとって心の杖を与えてくれるということだ。どうか、そのつもりで遠慮せずにわたしを諌めて欲しい。『行途に杖を用ふるがごとし。顚倒せざる前に杖を用ふるべし。顚倒したるのちの杖はその用を失うなり。』 》
『民の声、聞く耳を持つ』とこのタイトルには書いてありました。【松平定信】は民の声だけでなく部下の声も聞いて世を治めていたのです。我々KONOIKEでも私も勿論ですが、上司も部下も『諫言は転ばぬ先の杖』と心得てお互い切磋琢磨して行きましょう。