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人生と運命

 表題は以前このコラムで紹介した人生の哲学者『中村天風』が著した【運命を拓く】の中の第6章『人生と運命』から引用しました。自分の人生を素晴らしいものにしたいとは誰もが思うものですが、これを本当にするための教科書として、皆さんにも読んで頂きたいと思っています。今回はこの第6章の一部を抜粋して皆さんに紹介します。
 《 今日は、多くの人々が、とかく、誤解に陥りやすい、運命というものに対する正しい悟りを開こう。こうした事実を知っているのと知らないのとでは、どのくらい人生を有意義にするか、また無意義にするか分からないという、重大な関係が人生に存在しているのである。・・・今の人達は自分がある程度努力して、この努力が実らないと、それを運命だと思ってしまう。たとえば病のときでも、一所懸命手を尽くしても治りが遅いと、運命だと思ってしまう。あるいは、事業を盛り返そうと一所懸命努力しても、自分の思い通りにならないと、これもまた運命だと思ってしまう。こうして何もかも運命だと、片付けてしまうのだけれども、人間の力では、どうにもしようがない運命というものは、たくさんあるものではない。自分の思慮が足りないか、あるいは力が足りないかの理由で、運命が開けないことを、いわゆるどうすることも出来ない運命だと決めてしまうのは軽率極まりない話である。運命には二種類あることを知らないのだ。すなわち天命と宿命というものがある。天命は絶対で、宿命は相対的なものである。もっと判りやすくいうなら、天命というものはどうすることも出来ない。女が女に生まれ、男が男に生まれたのを、女が男になり、男が女になりたいといっても、どうしてもそうはいかない。これは天命だからである。この現代に生まれるのも天命なら、昔に生まれたのも天命。また末の世に生まれるのも天命だ。これはどうすることも出来ない。しかし、宿命というのは、人間の力で打ち開いて行くことが出来るものである。ところが今の人は、打ち開くことの出来る宿命にぶつかったときでも、それを運命という。自分の努力が足らないことは棚に上げ、どうにも仕様がない、というのである。・・・良い運命の主人公として生きたかったら、なにをおいてもまず、心を積極的にすることに注意深くし、始終自分の心を監督していかなければならない。宿命統制にもう一つ必要なことがある。それは常に心の中に感謝と歓喜の感情をもたせるよう心掛けることである
 「すべてのことを喜び、すべてのことを感謝して行く」こういうと、「でも、この世の中に、感謝すべきものなんかありはしません」という人があるかもしれない。今の人々は、感謝すべきことも、当たり前のことだと考えている。家に帰れば電気器具はあり、冷暖房機があり、それが感謝すべきことなどとは思いもかけず、当然のことだと思っている。けれども、少なくとも、昭和20年に生きていた人は、あの白いお米さえ容易に食べられなかった頃に、少しでも白いご飯を見ると「ああ銀めし銀めし」といって飛び付いたことを忘れはしないだろう。しかし今、お昼に白い弁当を食べているときに、「ああ、あの時分は、これを銀めしと言ったなー」と思って食べているかどうか。そんなこと少しも感謝しないで、昼がくれば飯を食うのが当たり前と思っている。けれども、食べるものがなかったらどうする?そのときに食べ物があったらどんなに嬉しいか。感謝に値するものがないのではない。感謝に値するものに気がつかないでいるのだ。極論すれば、病になっても不運になっても、感謝しなさいということだ。「冗談じゃない、何か貰うならともかく、病を貰って感謝なんか出来るものか」と言う人があるなら、その人は罰当たりだ。宗教的に言えば神仏が、哲学的に言えば大自然が、もっと諸君を生かしてやりたいと思うからこそ、病をくだされるのだ。「ええっ、もっと活かすために病をくだされる?そんな馬鹿なことがあるものか」と思うかもしれない。しかし「お前の活き方は、健康を確保する活き方ではない。第一、お前の心の持ち方を考えてみなさい。消極的で、のべつ人生を、不安な心の持ち方で活きているではないか。そういう活き方をしていると、それ、そんな具合に、肉体に故障が起こる。お前の現在の活き方は、天理に悖って(もとって)いるじゃないか。そういう活き方をしているから、そんなふうになったじゃないか。心を切り替えて、その人生に対する心の態度を改めろ」という警戒情報を下されているのが、病だと思ったらどうか。私がインドに行った時、まだ熱があり時々喀血していた時だった。毎朝起きるのが物憂いある朝「おはようございます」とインドの先生に挨拶すると「おお!世界一の幸福ものよ」と言う。私は腹が立ったので、「あなたは、私を冷やかしているのですか」と言った。すると「そうじゃない。おれは本当のことを言っているのだ。〈頭が痛い、熱がある〉といっても生きているじゃないか。まず第一に、生きていることを、なぜ感謝しないのだ。そんなに酷い病に罹っていても、生きているお恵みを考えてみなさい。そして生きていればこそ、こういう所へ来て、お前の心が、だんだん明るくなり、それにつれて、お前の活き方に対する、すべての欠点が解ってくるじゃないか。そうしてみると、たとえどんな病があろうと生きているということは何とありがたいことじゃないか」と言われた時、ああ本当にそうであったなあ、今までは、なんと、罰当たりな自分だったなあ、とつくづく思った。 》
 少し長くなりましたが『中村天風』先生のいうとおりです。自分の心の持ちようで二つの運命(天命と宿命)が好転します。東日本大震災の後遺症がまだまだですが、残された私達は生きていることに感謝し、力強く前向きに明日を信じて今日を活きたいと思います。

素晴らしい未だ見ぬKONOIKEに会う為に今頑張ります