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「負けるものか」が口癖に

『 火の粉がふりかかって いるときは、悩んでなんていられない。悩みがあるのは、まだ余裕がある証拠。 とにかく行動あるのみ。この方法がダメならこっちとか、生きる方法を考えること。そうしていくうちに、自然と手札が増えていく。結局、人生はすべて経験、慣れなのです。  自信がなくなったら鏡を見なさい。ずうずうしく生き続けている自分の姿が見えるでしょう。今まで生きてこられたのだから、この先も十分生きられる。 尊敬される人とは、感情を理性でコントロールできる人。知識や教養のない人は、感情的になって、なんの手立てもできない。 個人の考えはたかが知れている。いろんな人たちが残した事物事象を参考にすればいい。ネタがないとガソリン切れになりますよ。』 

表題、そして上の文章はプレジデント2014 6.16号にあった日本人の悩みを吹き飛ばす「美輪明宏」名言集に載っていた言葉です。『「負けるものか」が口癖になっていた』がサブタイトルで、彼の無我夢中で生きた青年期の事が書かれていました。今回はこの文章の中から抜粋して紹介させて頂きます。

《 終戦の年、私は10歳の少年でした。その後、国立音楽大付属高校に入学するため郷里の長崎から上京しました。確か15歳か、16歳の頃です。実家は比較的裕福だったので、仕送りをしてもらっていましたが、戦後のドタバタでついに親の仕事もうまくいかなくなり、破産。家は没落しました。以来、仕送りは完全に停止しました。
当時、国鉄の駅は夜になると家を焼け出された人々が寝泊りしていました。私も一時その集団に潜り込んで雨風をしのいでいましたが、何もしなければ死んでいたでしょう。とにかく働き口を探し、食い扶持を稼がないと・・。
新宿駅なんかに立っていると手配師から声がかかりました。それで楽器を弾ける人や歌を歌える人はトラックに乗せられて立川や座間などの米軍キャンプに連れていかれた。運のいい人は、そこでバイト代のほかにコンビーフ缶などをもらえた。
将来のことなど、誰も考えられません。ひたすら今を生きる。それで精一杯の日々でした。
少しして安いアパートを借りられるようになった時のこと。私がドアのカギを差し込むと一緒に帰宅したボーイフレンドが「ほーら、また言った」と。「え、何を?」と聞くと教えてくれました。私は無意識に
「負けるものか」としばしばつぶやいていたのです。戦争には負けたけれど、私は負け犬にはならない。絶対負けてなるものか。そんな思いが口癖となったのでしょう。
好むと好まざるとにかかわらず、人は「現実」に晒され翻弄されます。
人生は順風の時もあれば、逆風の時もある。そうした真理は古今東西共通です。ただ、戦前・戦中・戦後の苦難を肌で知る私が言いたいのは、現代の人はすぐ弱音を吐いたり、心が折れたりしやすいのではないかということです。上司に怒られ、同僚に足を引っ張られ、得意先に理不尽な注文を浴びせられ、営業成績もさっぱり上がらない。四面楚歌だ。俺はダメなやつだと。厳しいようですが、私に言わせれば、そんなの平和ボケの時代の贅沢な悩みです。災難を災難と受け止める意識があるうちは生ぬるいんです。
火の粉はふり払わなければ、火傷します。だから必死にふり払う。自分が置かれている立場を悲観している暇はない。ああだこうだと、弱音を吐いている人は、一度すべてを放り出せばいいんです。
禅の修行で、断食したり水断ちしたりして極限まで追い込まれると、おしんこ一枚、水一滴がありがたいと思えるように、試しに、落ちるとこまで落ちればいい。ある種のリセットすることで風景もまったく異なって見えるはずです。
生きるか死ぬかという段階になれば、例えばかつてはプライドが許さなかった「人に頭を下げる」ことさえ、簡単にできるようになるものです。
私が自信を喪失した人によくお伝えするのは、
「自分の手や足を鏡に映して、良く見てみなさい」ずうずうしく、でんと生き続けてきた自分の姿がそこにはある。ものはついでです。
今まで生きてこられたのだから、この先もきっとやっていけるはずです。そして、これからは「温室育ちの花や野菜」ではなく
「波打ち際の防風林」のような存在になる、と誓うのです。
海からの強烈な潮風に絶えず吹きつけられていると、根っこが張り強くなる。耐久力がつきます。
結局のところ、人生は経験や慣れがモノを言う所があります。
船が沈まないよう、その都度何かを打ちつけて補強する。そうやって経験値が高くなるごとに自分のなかに手札も増える。
それこそが自信となるのです。 》

『美輪明宏さん』は自身が作、演出、美術、衣装、主演する「愛の賛歌エディット・ピアフ物語」を全国10都市で上演中ですし、NHK朝の連続ドラマの解説を現在放映中です。
1935年生まれですから今年79歳になられます。苦労の連続を苦労とせず頑張った人の言葉はやはり重みがあります。
私達も
『負けるものか』を口癖に頑張って行きましょう。

『 素晴らしい未だ見ぬKONOIKEに会う為に今頑張ります。 』 以上